チェックをしなか

チェックをしなか


彼自身、たぶん、どこかでそれを感じているはずだ。主催国フランス、混迷の中での初戦の敗北はなんとしても避けたい思いがひしひしと伝わって来たのである。29歳の男の肩に乗った重責だけれど、二戦目を観て、彼の精神力と実力が確かなものであることを皆理解した。

 フランスというオーケストラの立ち直りを切に願っている自分がいることに気付く。フランス代表を熱い眼差しで観ている自分がいる。1998年、ワールドカップ優勝、 2000年、ユーロ優勝、あの歓喜の交響曲が戻ることを切に願っているのである。もしかすると、私の母国はフランスなのではないの? とも思う。先日の俺たちのコンサート。俺は午前零時前にクラブを出た。北駅からでもサンラザール駅からでも、家に着く時間は変わらない。その時の気分の問題。サンラザールは、俺が会社員だった頃、通った駅だから、良く知っているし、元文学青年とすれば、ヘンリミラーが恋人のモナを待っていた駅だ。頻繁に、その勝手なイメージが脳内を過る。北駅も、さらに遡る。持ち家を持つまでの会社員としての通い駅だったから、こちらも良く知っている。昔からそうだった。パリの移民の駅なのだ。移民、俺だって、ある意味、移民である。厳密には違う。俺の国籍は日本のままだ。永久にエトランジェなのだ。不思議な人、不可思議な人。いいだろう、それで。実際にそうなのだから。

物凄くハイになったから、なんとなく北、なんとなくセリーヌの「北」という小説自体よりも、このタイトルが琴線に触れる体質だから、北駅へ向かう。着く。俺の家へ向かう電車はない。夜間工事のったせいだ。慌ててサンラザールへ向かう。まだ、終電に間に合う。着く。エスカレーターを上る時、ホームの階からピアノの音が聴こえてくる。リストの曲かな? 相当なレベルのやつだな、こんな夜中に。パリの各駅に「ご自由に、あなたの番です」という意味で、ピアノが置いてある。私はプロの端くれだから、そのシチュエーションでは演奏しない。エスカレーターを上りながら耳を澄ます。素晴らしい演奏だ。なにもの? と思う。

ホームの階に、天井がガラス張りの巨大なホールがある。その中央のピアノ。初めて、そのピアノを遠めながら良く見てみた。定かではないがヤマハのU-1ないしはサミックの同レベルのものだと分かる。蓋の開閉のシリンダー部分で俺には分かるのだ。その前に、もちろん、音で分かるけれど、メーカーの名前までは。

終電まで間がある。ピアノと奏者が見えるホール後方の席に座る。奏者は小柄なアラブ系の男だった。ピアノの蓋の右上に8.6というアルコール度の高い500mlの缶ビール。両手、拳。拳の裏表でピアノの鍵盤を叩いていた。しばし、見る。両手の幅、低音と高音のバランスがとてもいい。拳の使い方もとてもいい。私は拍手をしようと演奏のエンディングを待っていた。男はピアノを叩きながらホールを横切るわずかな人へ、「おっ、金金っ、演奏に金くれよっ」と声を掛け始めた。私は、この時点で席を立った。



2016年07月04日 Posted by身内同然と思 at 12:38 │Comments(0)

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