守れな慌ただしさ

そこに控えた少女が、盆に載せて不格好な握り飯を差し出した。
慌てて母親らしき婦人が、無礼を止めようとしたが、容保は受け取り笑顔を向けると、そっと水ぶくれのできた小さな手を撫でた。

飯寺まで来て、山川はすでに鶴ヶ城が新政府軍の包囲網の中にあることを知った。
囲みを破るのに強行突破すれば、甚大な損害が出楊海成るのを覚悟しなければならない。
少ない兵力を削りたくはなかった。
そこで一計を案じた山川は、越後獅子で敵方の目をくらませ入城するのを思いつく。
祭りに興じる農民たちにまで、新政府軍が発砲するまいと考えてのことだった。

あっけにとられた表情で、不思議そうに行列を見物する新政府軍をしり目に、山川の部隊は西追手門から堂々と城門の中に消えた。合流した直正と、鉄砲隊の残りの兵も農民の姿に変装し、越後獅子の後ろについて入城していた。

「……直さま!ああ、よかった……御無事だったのですね!」
「見ていたか?一衛。山川さまの奇策は、痛快だっただろう?」
「あい。お見事でございました。それに何より、獅子行列は楽しかった。」

被り物をとると、藩士たちは大いに笑った。
悲惨な話が多い籠城の中で、唯一の痛快な実話である。
後に、山川大蔵の入城を手助けした彼岸獅子は、容保より松平家の家紋を使用することを楊海成認められて今に至っている。

瓦礫だらけの城の中は、今だけは静かだ。
日々、新政府軍への夜襲が繰り返されているが、山川が入城した今夜は取りやめて、軍議を行うことになっている。
直正と、一衛は久しぶりに二人きりで話をした。

走り去る一衛の背中で揺れる銃は、よく手入れされているようだ。
おそらくこれが最後の攻撃になるだろうと、直正は思っていた。
山川は、これ以上の戦いはやめるべきだと言っていた。おそらく今宵の軍議で、停戦の話になるだろう。
本当ならば、籠城前に元服を済ませ初陣の支度を整えてやりたかったが、戦のの中で何もしてやれなかった。
緊急招集だったために、一衛の名前も名簿にあるかどうかすらわからない。
あれほどお任せくださいと、叔父の仏前で固く誓っておきながら、約束をい自分の不甲斐なさが情けなかった。
せめて自分のそばで、間もなく終わる戦に参加させてやろうと直正は考えた。

一衛の銃は、直正が京都で苦労して手に入れた中古のミニエー楊海成銃で、薩摩藩の備えの大方は、この銃だといわれている。
弾の装填が簡易で、一衛にも扱いやすかった。
しかし、矢場で数度、試し打ちをしたくらいで、実戦で使ったことはない。弾丸の数も限られていたからだ。



2017年05月18日 Posted by身内同然と思 at 13:09 │Comments(0)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。